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ぼちぼちいこか
AC長野パルセイロ・信濃グランセローズを中心に、スポーツいろいろ見聞録
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被災地を歩く
今回の仙台遠征はもちろんサッカー観戦が最大の目的だったが、先の東日本大震災の被災地をこの目で直に見てみたいという思いもあった。

とはいえ日帰りで昼過ぎまでにユアスタに行かなけばならないという時間的制約があったが、何とか時刻表で当たりをつけ、同じ日に仙台で行われたプロ野球オールスター戦に向かう、贔屓球団のユニホームやグッズを身に付けたファン達と共に仙石線に乗って、ソニー仙台の事業所がある多賀城まで行ってみた。

あれから4ヶ月が経ってパッと見は平穏を取り戻しているものの、まだ屋根がブルーシートで覆われていたり壁に補修の足場を組んでいる家が所々に見られる中を約15分ほど走って多賀城駅に着くと、当てはないもののとりあえず仙台港方面へ歩いてみる。

と、最初に目撃したのは、信号の消えた交差点で警官が手信号で車をさばいていた、震災直後にニュースで見たような光景だ。
s-写真00012
この信号機は壊れたままなのか、それとも節電対策なのかは分からないが、交通量の多い主要道路ではない比較的小さな交差点は、自分が見たものは全て手信号だった。

この交差点を過ぎてしばらく歩くと、壁に大きなひびが入り、1階から屋上までネットで覆われたビルがあって思わず息を飲む。
もちろん中に入っていたテナントは全て撤収してモヌケの空だった。
s-写真00010

やがて片側2車線の大きなバイパス道路に出て、その交差点を左折するとソニー仙台の大きな工場が見え、道沿いに“災害時一時避難場所”に指定されている小さな公園があったが、その入口にはロープが張られ、看板の下には『今回の津波により公園内に土砂が堆積したため、土砂の入替をするまでの間、閉鎖とします』という注意書きが。
そして中を見ると、滑り台がひしゃげて倒れており、帰宅してから地図で調べると海岸線まではまだ結構な距離があったのに、津波の威力を見せ付けられた感じだ。
s-写真00007

また、この公園の近くには玄関が壊れてブルーシートで塞がれている店があったが、そこにあった貼り紙を見て胸が締め付けられた。

『この度の東日本大震災により○○(店の名前)は休業させて頂いております。
只今お客様との再会とお店の再開に向け取り組んでおります。
もうしばらく掛かりそうですが、お待ち頂けたら幸いです。
○○スタッフ一同』

・・・ただただ「頑張れ!」と言うしかないです。

ただ、そんな辛いものばかりではなく、同じくソニー仙台工場の近くのコンビニにはこんな力強い貼り紙もあった。
s-写真00006
『3.11より2ヶ月・・・
震災を乗り越えた皆様へ
セブンイレブン多賀城桜木店、復興へ向け再びオープンしました!!』

この他にもあちこちに『頑張ろう多賀城』の手作り貼り紙を見かけた。
『頑張ろう』の言葉は日本中に見られるが、実際に現地でこの文字を見ると、貼り紙を作った人の切実な気持ちや復興に向けた強い覚悟が伝わってくるようで、一文字一文字に重みを感じる。
s-写真00011

今回これらの写真を撮るに当たり、よそ者が物見遊山の野次馬風情で一眼レフを構えているのを見て地元の方が気を悪くしないかと躊躇したが、マスコミが報じなくなった被災地の現状を少しでも伝えられたらとの思いから、このような行動をとらせていただいた。

といっても、多賀城での滞在時間は僅か40分ほどと、こんなエラそうな事を言うのが恥ずかしいくらいの短さで、表面のほんの一部分に触れたか触れないかくらいのものでしかないが、それでも自分としてはとても有意義な体験だった。

比較的被害が少なかったと思われる多賀城でも、少し歩いただけでこれだけ目に付く事があったのだから、三陸沿岸の街などは今でも本当に大変だろう。
自分はボランティアツアーに参加するような殊勝な事はできないが、この体験を忘れる事なく、これからも積極的に募金に協力するなど自分が出来る範囲で東北復興の一助になれればと痛感した。
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