ぼちぼちいこか
AC長野パルセイロ・信濃グランセローズを中心に、スポーツいろいろ見聞録
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パルセイロ・レディース優勝記念特別寄稿 『温故知新』 大原学園JaSRA女子サッカー部の思ひ出
今日は広島でなでしこリーグ2部の最終節が行われ、パルセイロ・レディースはアンジュヴィオレ広島に0-1で敗れてしまった。
エース・#10横山久美が前節の“やっちまったレッド”で出場停止だった以外は概ね現時点でのベストメンバーで臨んだにもかかわらず有終の美を飾れなかったのは残念だが、トップチームも2年前のJFLで、圧倒的な強さを見せて優勝を決めた後の残り2試合を連敗してしまったように、一度張り詰めていたものが緩んでしまうとなかなかリカバリーできないものでもあるし、まぁこの結果も仕方ないだろう。
レディースはまだ2週間後に皇后杯の戦いが控えているが、今日の敗戦で気持ちを切り替えて、今年の締めくくりの、そして来年に繋がる大事な戦いに向けて英気を養ってほしい。
とりあえずレディースの選手・スタッフの皆様、1年間のリーグ戦の激闘お疲れさまでした。

さて、先週の試合はレディースの過去最高を大幅に更新する3,828人という観客が南長野に訪れたが、優勝決定戦という事で初めてレディースの試合を見たという方や、横山選手の加入で躍進を始めた去年あたりからのサポも多いと思われ、レディース発足当初の観客数がせいぜい500人前後だった事を思えば、その当時のなかなか勝てなかった頃を知る人はあの大盛況のスタンドの中のほんの一握りだろうと思えるし、更に言えば、それらのサポもチームがパルセイロに移管してから応援を始めたという方が大半で、前身の大原学園時代から見ている人は更に絞られ、ほんの“一握り”ではなく“ひとつまみ”という表現になるだろう。

ハイ! 自慢じゃありませんがワタクシ、その“つままれた”者です!!
とはいえ、その頃から当然ながらパルセイロ最優先の日程で、大原の試合で実際にスタジアムで観戦したのはパルセイロの試合が無かった時のホームゲーム限定の、年間せいぜい2~3試合のみだったので、当時から熱心に大原を応援していた方には「ニワカめ!」と怒られそうだが、それでも女子サッカーのトップリーグに在籍する地元・長野県のチームという事で、パルセイロやグランセローズと並んで動向は絶えず気にかけていた。

田中菜実キャプテンの優勝挨拶の中でも大原時代からの生え抜き3選手に対するリスペクトの言葉が出るなど、最近レディースの足跡が紹介される中で『大原学園』の名前をよく聞かれるようになったし、“古きを訪ね新しきを知る”じゃないけど、この機会に自分の中での大原学園JaSRA女子サッカー部の思い出をつれづれなるままに紹介して、レディース優勝のはなむけにしたいと思います。
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自分が大原学園の試合を初めて見たのは、チームが1部リーグに昇格した2004年。
(ちなみにこの年は長野のレジェンド・濱垣香菜選手のルーキーイヤーでもあった。)
当時はまだ『L・リーグ』という名称だったが、女子日本代表に『なでしこJAPAN』という愛称が付けられ“第一次なでしこブーム”のようなものが起こって女子サッカーに注目が集まった頃で、ご多分に漏れずそのブームに乗っかった自分は「長野にもL・リーグのチームがあるらしい」という情報を聞きつけ、ホーム開幕戦を当時の本拠地である菅平サニアパークまで見に行った。
その対戦相手であるTASAKIペルーレ(親会社・田崎真珠の経営危機により現在は消滅)は、当時の代表主力メンバーでキャプテンを務めていた川上直子・エースストライカー大谷未央・フリーキックが得意なファンタジスタ山本絵美という豪華な面々を擁する強豪チームで、その時のスコアや内容の詳細は記憶にないが、とにかくボコボコにヤラれた事と、試合後にまだ観客が残っている芝生席を通って土手上の控室に戻る代表メンバーを超至近距離で見られて興奮した事は覚えている。
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結局、その年は0勝2分12敗で最下位となり2部に落ちてしまうが、降格2年目でリーグ名が『なでしこリーグ』と改名された2006年は大原が最も輝いた年となった。
この年は自分も日程の巡り合わせが良く5試合程度観戦できたのだが、キャプテンにして頼れる司令塔の津波古(つばこ)友美子、U-20代表候補にもなっていた中野真奈美、スピードある突破力が武器のルーキー中川千尋ら、決して有名ではないが若くて生きのいい選手が活躍して快進撃を続けた。
特に中川選手は、身長150cmと小柄ながら豊富な運動量で右に左に神出鬼没にピッチを走り回り、ひとたびボールを持てば、まるで牛若丸のように軽やかなステップとスピードで相手DFをヒラリヒラリとかわして突破しゴールを奪う大活躍で、自分も大好きな選手だった。
この年の大原は13勝6分0敗で勝ち点51という素晴らしい成績で、16勝3分2敗で同じ勝ち点のアルビレックス新潟レディースに得失点差で敗れて惜しくも優勝は逃したが、大雨の東京・江戸川陸上競技場で行われた一発勝負の入替戦でスペランツァ高槻を2-1で破り1部昇格を果たす。(こう書くとさも自分が実際に入替戦を観戦したように思うかもしれませんが、さすがに当時はそこまで追いかけたりはしませんデス。。。)
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こうして3年ぶりの1部復帰を果たした2007年。
この頃には既に現在の代表主力選手が“なでしこJAPANメンバー”としてそれぞれのクラブで活躍しており、自分も大原の試合を通してそれらの面々のプレーが見られると楽しみにしていたのだが、前年と打って変わって日程の折り合いがなかなかつかず、残念ながら年間2試合しか見られなかった。
しかし、その2試合は今も強く印象に残るほど衝撃的なものだった。

まず最初に見たのはシーズン序盤にアルウィンで行われた浦和レッズ・レディース戦。
若さあふれる大原のサッカーが1部の強豪にどれだけ通用するかと楽しみに松本に乗り込んだが、結果は惨憺たるものだった。
唯一無二の攻撃の起点である津波古選手は相手の徹底マークで仕事をさせてもらえず、ボールの供給源を失った中川選手は前線でポツンと孤立状態で、稀にボールをもらっても小柄な体は相手の屈強なディフェンス陣に簡単に潰され、あの牛若丸のような軽やかなドリブル突破は一度も見られずじまい。
結局、安藤梢を擁する浦和の強力攻撃陣の前に防戦一方のハーフコートゲームに終始し、自分達のサッカーを全くさせてもらえず大敗してしまった。
自分もある程度は覚悟していたが、予想をはるかに越える1部強豪チームとのあまりにも大きなレベルの差に愕然となり、打ちのめされたようにアルウィンを後にしたのを覚えている。

もう一つの試合は秋口の南長野で、対戦相手はINAC神戸レオネッサ。
当時は澤穂希・大野忍・川澄奈穂美といった代表メンバーは在籍していなかったが、当時強かったブラジルや韓国の代表選手を多数擁する強豪チームである事に変わりは無く、その試合も相変わらず攻められっ放しのハーフコートゲームの様相。
しかし大原も粘ってなかなか点が動かないまま時間が流れ、そんな中で迎えた後半の半ば過ぎ、大原のやぶれかぶれなフィードが運よくスペースだらけの前線に残っていた選手にどフリーでスポッと収まり、前を向けばそこにあるのはゴールマウスだけ。
そんな降って湧いたような状況に、受け取った選手は「えっ?えっ?ワタシこのボールどうしたらいいの?」なんて明らかに狼狽したような仕草を見せつつも、エイヤッと蹴り込んだボールが慌てて飛びつくGKをあざ笑うようにゴールに転がり込み、なんと大原が先取点をゲット!
この、相手にしてみれば“交通事故”みたいな得点に、「こんなところでコケてなるものか」とばかり神戸がこれまで以上の猛攻を仕掛けるが、大原も全選手がゴール前に固まる決死の“穴熊戦法”で虎の子の1点を守り抜き、今も語られるアトランタ五輪での“マイアミの奇跡”に勝るとも劣らない(?)大番狂わせをやってのけた。
で、傑作だったのは試合終了直後で、場内MCを担当していた大原の女子学生があまりの感動と興奮で大号泣してしまったようで、「ご覧のように只今の試合は1-0で大原学園が勝ちました」というお決まりの原稿をヨレヨレ、グジャグジャの涙声で読み上げ、スタンドに居合わせた多分200人前後だったと思われる観客から大爆笑と共に拍手喝采を受けた。
本当にこれほど痛快だった試合はなく、自分が観戦した歴代の試合の中でもトップ5に入るであろう。 当時はスマホなんて無かったから無理な願望だけど、あの試合の動画が残っていたら是非もう一度見てみたいものだ。
ちなみに、この試合には濱垣香菜選手と波多野早選手もベンチ入りしていた他、横山選手の活躍が記憶に新しい今年8月の東アジア選手権で、サイドハーフとして献身的なプレーで注目された現ベガルタ仙台レディースの有町紗央里選手も大原のルーキーとしてリザーブメンバーに名を連ねており、自分はその中継で有町選手が映るたびに「大原OGガンバレ!!」と応援していたものだ。

そんな感じで、数は少なかったものの非常に中身の濃い体験をしたこの年だったが、チームは2勝2分17敗の勝ち点8とブッチギリの最下位で再び2部に転落し、1部のレベルの高さを痛感。
それでも自分は、「まぁこのメンバーなら2部ではそこそこ戦えるし、これからはJFLの佐川急便やHONDAのように1部昇格を目指すクラブの“門番”的な存在にでもなってくれればいいかな・・・」なんてサバサバしていたが、オフに入ってきたニュースに再び1部の恐ろしさを思い知らされた。
津波古・中川・有町を始め自分がレギュラーメンバーの中でも特に注目していた5人の選手全員と、オマケに指揮を執っていた種田佳織監督までゴッソリと岡山湯郷ベルに引き抜かれてしまったのだ。
「ナニコレ!? これじゃ来年の2部もまともに戦えないじゃないか! 今年の大原の活動は1部有力チームに対する選手の“展示見本市”だったのか・・・?」
自分はこのブログでもこれまで事あるごとに「レディースは中途半端な実力のまま1部に上がったら恐ろしい事になるから、軽々しく“昇格”なんて口にしない方がいい」と書いてきたが、リーグでなすすべなくボコボコに叩きのめされた挙句、屋台骨を担う選手を取られて“骨抜き”にされ2部に叩き落されてしまうという、この年の強烈な経験がトラウマになっての事である。
ただ、その“骨抜き”にした湯郷の監督を務めていた人物が、数年後に長野に来て名前の変わったこのチームを圧倒的強さで2部優勝にまで導いてしまう事になろうとは・・・

そんな訳で再び2部に戻った大原は、監督と主力の離脱で昇格争いとは無縁になってしまったうえ、財政難や人材難でリザーブ選手も2~3人しか置けない厳しい状況が続いたが、濱垣に波多野、そしてこの年入団の橋浦さつきに加えて、高木奈央・篠原志穂子・小林菜摘・三間睦美・浦崎優香といった後にパルセイロ・レディース初期の主力となる選手達が頑張りを見せ、2008年は4位、2009年は5位と共に中位をキープ。
このうち、結果的に大原学園として最後のシーズンとなる2009年についてはこのブログにも観戦記が残っているので、いい機会だからこの場にリンクを貼っておきます。
お時間がある方はコチラの方も見てみてください。

 開幕戦 vs清水第八プレアデス
 第9節 vsバニーズ京都SC
 第12節 vsASエルフェン狭山FC
 第17節 vs福岡J・アンクラス
 最終節 vsジュブリーレ鹿児島(パルセイロ移行式)

大原学園はこの2009年を最後に女子の活動を休止した訳だが、その年の最終節、旧・南長野で行われた大原最後の試合を勝利して有終の美を飾った後、パルセイロのスタッフ、選手総動員で行われた移管式で挨拶した、チーム立ち上げにかかわりL・リーグ参入に尽力した大原のオーナー氏は、まるで可愛がっていた大事な娘を嫁に出すような感じで涙ながらにスピーチしていたのが印象的で、自分も「トップと同じくらい応援に力を入れて、サポーターとしてオーナーさんの気持ちを繋いでいこう」と心に誓ったものだった。

それから、大原を語る上で忘れてはならない人物がもう一組いる。
ゴール裏の声出しサポなど全く付かなかったチームにあって、旧・南長野メインスタンドの芝生席に毎試合陣取って、手作りの旗を振りながら熱心に応援していた、当時小学校低学年くらいと思われる可愛い姉妹応援団だ。
普通このくらいの年頃の子供といえば、最初は面白がって応援していてもそのうち飽きてスタンドを走り回ったりするものだが、この姉妹はどんなにチームが負けている時も一生懸命旗を振って応援している姿が印象的で、1部に上がった2007年のリーグガイドブックのチーム紹介ページにある『ストロングポイント』というコーナーでも採り上げられるくらい大原にとって欠かせない存在で、2013年には濱垣選手のリーグ通算100試合出場記念セレモニーで花束贈呈のプレゼンターとしても呼ばれていた。
自分もこの姉妹はレディース・サポの“第一人者”として今でもリスペクトしている。
あの優勝が決まった瞬間、彼女達も南長野のスタンドのどこかで喜んでいたかな・・・
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そんな訳で、自分と大原学園との6年間を駆け足で振り返ってみました。
気が付けば長々と書いてしまいましたが、ここまでお付き合いありがとうございます。
こうして振り返ってみると、大原もかなり波乱万丈な歴史を歩いてきたんだな~と感じます。

2010年にAC長野パルセイロ・レディースが発足し、その年にリーグのカテゴリー再編で誕生したチャレンジリーグでは常盤木学園高校等の強豪チームに全く歯が立たず、2012年には地域リーグのチームとの入替戦も経験するなど厳しい期間を過ごしたが、翌2013年に本田美登里監督が就任してからは皆様ご存知の大躍進を遂げ、とうとう今年、悲願の2部優勝&1部自動昇格を果たした訳だ。
パルセイロは当時まだ地域リーグに属しており、決して運営に余裕があった訳ではなかったと思われるにもかかわらずチームを引き取り、トップと同じくらいの力を入れてここまで育て上げた訳で、その英断と女子サッカーに対する思いには感服するが、これが一から女子チームを立ち上げようとすれば今の何倍もの時間と経費がかかったと思うし、そもそも長野県に大原学園というチームがなければクラブが女子チームを持とうという考えすら思い浮かばなかった可能性が高く、今年こうして女子サッカーの魅力と優勝の喜びを思う存分味あわせてくれたレディースの礎となった大原学園には心から感謝したいところだ。

チーム自体は6年の歳月を重ねてパルセイロ・レディースとしてオレンジ色のユニホームがすっかり定着したが、その根底には大原学園のユニホームの色と同じ赤い血が流れている。(←「フツーじゃん!」というツッコミはナシという事でひとつ。。。)
その大原のフロンティアスピリットをしっかり受け継いで、レディースには来年以降しっかり1部に定着して、女子サッカーのファン層拡大と長野県の女子サッカー発展に尽力してほしいと願っている。
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2015/11/04(水) 07:02:23 | | #[ 編集]
懐かしい写真多くて楽しませていただきました。
私も、2部時代にジェフ千葉レディースと大原学園の試合を見に行ったりしてました。
ごっそり湯郷に引きぬかれた時には、さすがに私も驚きました。
その湯郷から監督が来て、エースが来て守護神が来て・・・
時代の移り変わりを感じますね。
2015/11/04(水) 19:56:53 | URL | 某コテ #mQop/nM.[ 編集]
J+レディース
こういう歴史を振り返る更新、正真正銘のニワカにはたいへん有難いです。
まさに波乱万丈。ここまで来るまで本当にいろいろあったんですね。
それにしても、当時JFLですらなかったパルセイロが、なでしこブーム後ならまだしも、あの苦しい時によくぞ引き受けてくれたものだと、レディースファンの自分としては、いくら感謝してもし足りません。
トップチームがJリーグの「パルセイロ・レディース」だからこそ、あんなに素晴らしいスタジアムで大勢の方に応援して頂ける訳だし、そもそもカリスマ監督や代表選手が来てくれたのも、ひとえにパルセイロあっての事です。
世界大会3連続決勝に進んだ国の最高峰リーグという夢舞台。
この小さな地方都市で、そんな凄い戦いが見れる幸せ。
改めて、移管を英断してくれた当時のクラブに感謝です。
そして、南長野で皇后杯開催を決めてくれた協会や関係各位にも感謝です。
リーグは終わったけど、もう一度「ホーム最終戦」が観れるし、なでしこJAPANの選手が所属するベレーザやベガルタにレッズまで来るなんて。
なでしこJAPANの試合も観れたし、女子サッカーファンとしては、もう盆と正月が一緒に来たような感じです(笑)
まあそれもこれも、我らがパルセイロ・レディースが見事優勝してくれたからですね。
ちなみに本日の更新で、ベガルタの中野・有町両選手には大きな声援が飛ぶ事でしょう。
2015/11/04(水) 20:20:12 | URL | レディースファン #-[ 編集]
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2015/11/04(水) 22:48:51 | | #[ 編集]
某コテ様
自分もこの記事を書くにあたって引っ張り出してきた過去のガイドブックを見て、「この年はこのチームにこんな選手がいたんだ」と懐かしくなって、おかげで書くペースがなかなか上がりませんでした。(笑)
こうして振り返ってみると、色々な事が色々なところで関係していて最終的に今回の優勝に繋がっているようで、本当に“縁”とは不思議なものだとしみじみ思います。

レディースファン様
あー、そういえばベガルタも南長野に来るんですよね。
自分はあまり意識してなかったけど、その意味では中野選手と有町選手が大原の赤いユニを着て旧・南長野でプレーしていたという事を伝える事ができて、我ながらタイムリーなネタでした。(笑)
女子サッカーは絶対的なレベルや環境は男子に比べてかなり劣るけど、その分サッカーへの思いは男子よりもはるかに強く、ボールに対する執着心や絶えずひたむきなプレーなど、女子ならではの魅力があるという事を教えてくれたのは大原学園だったし、その思いを今日まで繋げてくれたパルセイロの理念は本当に素晴らしく、長野県にこの2つのクラブがあった事に改めて感謝したいです。
2015/11/05(木) 21:50:07 | URL | ぼー #-[ 編集]
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