ぼちぼちいこか
AC長野パルセイロ・信濃グランセローズを中心に、スポーツいろいろ見聞録
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被災地を歩く2012~多賀城再訪編~
今回の宮城遠征、その主目的はもちろんパルセイロだったのだが、それと同じくらい大きな目的だったのが、去年の宮城行きの際に訪問した多賀城市の被災地を再訪し、目の当たりにした光景がどうなったのかを確認する事だった。

この目的のために試合会場に入るまでの時間をなるべく多く確保するべく、金曜日の夜に長野を発つ夜行バスで東京・上野駅まで行き、そこから東北新幹線に乗って朝8時過ぎに仙台入り。
そして去年と同じくJR仙石(せんせき)線に乗り換えて、まずは多賀城を通り過ぎて終点の高城町駅と一つ前の松島海岸駅を訪れた。

この仙石線は読んで字のごとく仙台と石巻を結ぶ路線で、県都・仙台市と県内主要都市の一つである石巻市を結ぶメインルートだったのだが、先の震災で仙台からの電車は途中の高城町までで運休となっており、その先へは松島海岸駅から代行バスに乗り換えねばならず、超有名観光地・松島の玄関駅としての華やかさとは裏腹な代行バスのりばの案内看板が、妙にリアルに震災の事を語っているようだった。
s-写真00069

そんな松島海岸駅から目と鼻の先の海岸線へ歩いて、岸から見える島を愛でたり観光遊覧船の発着光景を楽しんだり松島の象徴ともいえる瑞巌寺の五大堂をお参りするなどのプチ観光の後、来た道を引き返していよいよ多賀城へ。
ここから先は、去年の訪問時の記事を頭に入れてから読み進める事をお勧めします。

1年1ヶ月ぶりに見る懐かしい光景が広がる駅前から、あの時の記憶を頼りに仙台港方面へ歩き出すと、当時はまだ壊れていて警察官の手信号に頼っていた交差点の信号機は最新のLED式に変わってきちんと作動していたし、全面亀裂だらけで傾きかけていたビルは取り壊され、跡地は月極の駐車場になっていた。
また、ソニー仙台工場の近所にあった津波による土砂の流入で閉鎖されていた小さな公園は、押し潰された遊具も新しくなっており、小さな子供がお母さんに見守られて滑り台で遊んでいる姿が見られた。
s-写真00071

まぁ、これらの復興ぶりは街がしっかり機能していれば当然の変化であり、自分もある程度の予想はついていた。
ただ、去年の記事の最後の写真にあったお手製の『がんばろう!』の貼り紙があった店で、その貼り紙が取り外され普通に営業を続けていたのはちょっと嬉しかった。
まだまだ街のあちこちに『がんばろう』の看板は目に付くが、こうして店の人が独自に作ったと思われる看板が取り外されたという事は、とりあえずその店の界隈では『がんばろう』のスローガンが不要な平穏な日常が戻ってきた事を意味するのだと思うのである。

そして、今回の多賀城再訪で一番気にかけていた事。
それは、去年の記事で店舗休業の貼り紙を紹介させていただいたあの店がどうなっているかという事。

ここで改めてその貼り紙の内容を掲載させていただく。

『この度の東日本大震災により○○(店の名前)は休業させて頂いております。
只今お客様との再会とお店の再開に向け取り組んでおります。
もうしばらく掛かりそうですが、お待ち頂けたら幸いです。
○○スタッフ一同』

この内容には、ベニヤ板とブルーシートで塞がれボロボロになっていた店構えと共に深く自分の心の中に残っており、震災関連のニュースを見るたびに「あの店は無事に再開できているのだろうか・・・」と心配していたのだが、記憶をたどってその店のあった辺りに来ると、瀟洒な構えのケーキ屋さんが営業していた。
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店の看板を確認すると、あの貼り紙に書かれていた店名と一緒。
あれから1年あまり、この店は廃業する事も他所へ移る事も無く、貼り紙に書かれていた約束通り、元の場所で真新しい店舗で営業を再開していたのだ。
別に自分はこの店に何の縁もないけど、今回この事を確認できて本当に嬉しかった。

ただし、これで多賀城界隈が完全に復興したと喜んではいられない。
ソニー仙台工場手前の大通りの向こうにふと目をやると、公共施設の駐車場だったスペースに、津波で流されたと思しきクルマの廃車体がうず高く積まれていたのだ。
s-写真00073

え~っ、こんなの去年からあったっけ?
あの時はとにかくすぐ目の前にあった被災状況に気を取られ、4車線プラス中央分離帯の広い産業道路の向こう側まで目が届かなかったので、順調に復興が進んでいると喜んで撤収しようとした最後にこの光景を見せ付けられてショックを受けた。

そんなこんなで多賀城での予定は全て終わり、ちょうど昼時だったのでこの廃車体置き場のすぐ近くにある食堂で昼食を摂ったのだが、その店先に出ていた幟旗がイカしていた。
s-写真00076

『負けてたまるか! 福幸応援 宮城県中華料理組合』

これまでは『がんばろう』のスローガンの下、早く普通の暮らしに戻れるように援助の手を借りながら遮二無二がんばってきたのだと思うが、あれから1年以上が経過して暮らしや心に余裕が出てきたか、今度は自分達が中心になって我が街を元気にしていこう! という気概にあふれた内容だ。
“復興”という言葉に“福”と“幸”の文字をあてるとはベタな語呂合わせだが、単なる街の“復興”から一歩進んで心の“福幸”に向けて歩み出そうという姿勢がうかがえる、なんだか元気が出てきそうな実にナイスな幟旗だった。

ちなみにこの食堂はソニー仙台工場のお膝元にあるためか、店の中にはソニー仙台FCのポスターと選手達の寄せ書き色紙が飾られていた。
JFLの“北の門番”として名高い老舗企業チームが、今も地元の人達に愛され続けていると実感して、食後のお冷を飲みながら「あー、この食堂に入って正解だった・・・」としみじみ思った次第である。

そして、多賀城市よりも更に海沿いにあり被害規模も大きかった七ヶ浜町の現状は、またまとまり次第アップしたいと思います。
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コメント
この記事へのコメント
長旅の遠征、お疲れ様でした。
パルセイロの勝利、おめでとうございます。
前々回、前回の試合のレポとも合わせて、良い記事、ありがとうございます。
「福幸応援」、良い言葉ですね。

そして、ソニー仙台FC。震災の直後にはチームの存続が危ぶまれたように記憶していますが、今もJFLで戦うことができていてよかったですね。
2012/08/20(月) 23:34:34 | URL | パオロロッシ #-[ 編集]
パオロロッシ様
今回の遠征は、ずっと気になっていた去年の被災地の再訪、そしてパルセイロの逆転勝利と、色々な意味でとても有意義な旅となりました。
比較的被害が少なかった多賀城市はともかく(コレも自分の主観だけですが・・・)、全体を見回すとまだまだ復興の速度は遅く、被災地の方々は大変だと思いますが、本文にもあったようにインフラの“復興”だけでなく心の“福幸”目指して頑張ってほしいものです。
そして、ソニー仙台FCはJFLを代表する老舗企業チームとして、自分もHonda FCやSAGAWA SHIGAらと共にリスペクトしており、今後も地域に根ざしたクラブとして、また“北の門番”として頑張ってほしいものです。
2012/08/21(火) 22:09:44 | URL | ぼー #-[ 編集]
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